第3日目 レインボー2での話

 というわけで「レインボー4」ですが、やはり少し早かったらしく、雰囲気はいまいち。お客さんは半分ぐらい。声をかけてくる子もいましたが、あまり話す気にも慣れず、30分ほどで退散。そのままいつもの「レインボー2」へ。

 たまたまママさんが店の外に出てきて呼び込みをしていました。私の顔を見てすぐににこやかに迎えてくれ、中のウエイトレスさんに取り次いでくれます。 

 ウエイトレスさんも、特に奢ったわけではありませんが(お釣りの小銭や20B程度は渡していますが)私の顔を覚えてしまったようで、すぐに席に案内されました。少し話がしやすいように気を使ってくれたのか、ステージから離れた席です。

 ビールを頼んで、じゃあゆっくりステージでも眺めようか、と思う暇もなく「Tomorrow na」と言っていた女の子が横に滑り込んできます。というわけで再び身振り手振りとタイ語、英語で、よく分からない会話が始まります。

 実はこの時少しプライバシーに立ち入ったシビアな話もしました。座った場所がちょっと奥まったところだったからです。

 先ずは「何歳?」という年齢の話。予想よりちょっと高めでしたが、還暦間近の私からすると娘みたいな年齢です。ここではたと気がつきましたが、もしかすると私に声がよくかかるのは、ちょっと年齢が嵩んだ女の子だからではと思いつきました。

 容姿はともかく、やはり年齢が嵩めば、なかなかご指名もかからず、その意味では徐々に稼ぎにくくなってくるはずです。そうゆう子なら、多少年上でも、お金がありそうで(実際にはありませんが)柔和な表情をしているおじさんに声がけをするのは当然かなという気もします。

 話を戻します。「結婚は?」と聞くと、「今はいない」と言います。ということは、以前はということになり、実際いたようです。ただどこまでが本当の話は分かりません。

 訳の分からないタイ語と英語のコミュニケーションですから、なんとなくジェスチャー等で判断したところによると、どうやら病気で亡くなったようです。

 飲み過ぎで肝臓をやられた、と言うような話でした。幸か不幸か子どもはいなかったそうで、そのまま今に至っているみたいですが、つい先頃父親も亡くしたそうで、悲しかったと言っていました。(タイの男性の平均寿命は60歳代です)

 さらに突っ込んで「どうしてここで働いているの?」と聞くと、正直に「お金」という答でした。ちなみに通常のスーパーの店員さんは、一ヶ月の給料が5000B程度だそうで、、それを聞くと、観光客がいないエリアでのタイの生活費は、日本の10分の1とか20分の1という物価なんだろうなと言う気がします。

 一通り話を聞いて、私の方はそれで充分なのですが、やはり「外へ行こう」と言います。まあ当たり前ですね。連続で来ているわけですから当然の期待だと思います。とはいうものの私から指名しているわけではありません。

 あまりしつこくされるなら、もうこの店にはしばらく来れないなと思っていますが、その辺の引き際も心得ているようで、「飲物だけだよ」で勘弁してもらいます。

 帰り際、また「Tomorrow na」と言われたので、「毎晩じゃあいくら何でも」と思ったので、「明日は行きたいところがある」(実はない)と言って、約束はしませんでした。

 相性が良いので話をしている分には楽しいのですが、のめり込むとロクな事にならない、と言うことぐらいの分別はありますので、眠くなってきたこともあり、ちょっと理性を働かせ、そのままホテルに戻って就寝。


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