アユタヤ観光

集合は花屋さん前

 12時50分、集合場所の花屋さんに前に着いた。昨年うろついた場所なので迷いは無い。すでに10人ほどの日本人がいたが、すべてがアユタヤ観光と言うわけではないらしい。

 近づいていくと「パンダバス」というプレートをつけているガイドさんらしき女性がいたので、名前を告げるとすぐにチェックしてくれ、後数人来るのでこの場所で待っていてくださいと丁寧な返答。

 そのままボーっと待っていたが定刻になっても現われない客がいるらしく、ガイドさんもいささか慌てている。こちらとしても待っているだけなので手持ち無沙汰だ。

 やがてようやく2名登場。待たせたお詫びも特に無いまま(こうゆうときはやはり同じツアー客に一言挨拶があって良いと思うのだが。ましてや遅れた張本人の夫婦は私と同年代の礼儀をわきまえていると思える風貌だった)ガイドさんに促され車を停めてあると言う地下駐車場に向かった。

 歩くこと約3分。10数人乗りのワゴンが見えてきた。どうやらバスではなく、このワゴンでツアーに行くようだ。客は私以外に40代と思しき個人客数名と3組の夫婦の総勢9名である。

 出発してすぐにガイドさんからアユタヤの基本的な説明があった。400年以上前の王朝であるが、ビルマとの戦争でかなり破壊されてしまったこと。バンコクからは約80kmで、車で1時間半かかること等である。

 道は最初は高速道路だったが、やがて一般道となった。しかし一般道となっても、3車線くらいあり、しかも直線で信号もまったく無く車が少ないので高速道と変わらない。時速100km前後で軽快に進む。これなら確かに80km離れていても1時間半で着くはずだ。


アユタヤ歴史資料館の名前に怖気づく

 結局バンコク市内の渋滞を通過するのに時間がかかったため、2時間でアユタヤ着。最初は「アユタヤ歴史資料館」というひじょうに立派な名前のついた施設に行くとのこと。名前が立派だったので、これは見学に相当時間がかかりそうだな、と早くも腰が引ける。

 だいたいが高校時代から世界史は嫌いだった。昔のことをわざわざ勉強して何になるんだ、という歴史嫌いの常套句を振りかざして勉強から逃げ回っていたので、今もって世界の史跡の類についてほとんど知識が無い。なんとか王朝が何年に滅びてどうたらこうたら、というのはどうも好きになれないのだ。

 そうゆうわけで、歴史資料館と言う言葉はどうも苦手だ。ワゴンが近づいていくと、想像通り?立派な建物だ。「これからアユタヤの歴史について説明します」というガイドさんの明るい言葉に、気持ちは暗くなる一方である。

 タイに来た以上、一度はアユタヤに行っておかないと、タイに行ってきましたと大手を振って宣伝する事が出来ないと思ってツアーに参加したのだが、ちょっと後悔しそうな気持ちになってきた。

 車を降り大きな建物を見渡す。同乗のツアー客の中に世界史が好きなのか、目立ちたいのか、ガイドさんに積極的に質問しようとしている人がいる。質問内容を聞いていてもマニアックでちっとも面白くない

 内心「そんなことはどうでもいいだろ。後で時間を見つけて個人的に質問しろよ」と思ったりするが、もちろん表情には出さない。しょうがないので質疑応答が終わる間、その周辺をうろうろして待っている。

 ようやく入館だ。入り口を入るといきなり大きなホールになっていて、各種の展示物がド〜ンと置かれている。アユタヤ市街地の模型なんかが置いてあり、ガイドさんが丁寧に地理的条件等を説明してくれる。

 ここでもまた「この模型で東西南北はどっちだ」なんて地図を見れば一目瞭然のことを質問している人がいる。「おいおい、よしてくれよ。そのくらい自分で考えてみたらどうだい」なんてことまで思うが、やはり口には出さず、その回りの模型を見て時間をつぶす。逆に他の客から見ると、私は得体の知れない偏屈なおじさんに見えたかもしれない。

 ともあれひとつひとつの模型や展示物をガイドさんが丁寧に説明してくれるので、よく分からなくてもなんとなく頷いてしまったりする。

 ただし私にも興味を感じた展示物があった。それは高床式の当時の人たちの住居模型。高床式と言っても日本と違い、本当に高くて3mぐらいある。こうゆうところで生活していたのかと若干感動を覚えた。

 またタイからの貿易の歴史的広がりも興味深かった。こんな時代にこんな所まで出かけていたのか、と少々びっくり。

 さてこの調子で2階3階と展示物を見学していたら日が暮れてしまうぞと思い始めた頃、はたと気がついた。階上へ上がる階段が見当たらないのだ。

 なんのことはない、展示物は1階のみで、ガイドさんが丁寧に説明してくれたが、結局30分ほどで見学は終了したのである。世界史劣等生の私としてはありがたい限りだ。嬉々としてホールを出て車に乗り込んだ。次は「マット・マハタート」である。


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