頭の無い仏像は悲惨だった
「ワット・マハタート」に到着。車を降りるとガイドさんが先頭に立って、どんどん歩いていく。あちこちにツアーらしき観光客の集団が見え、それぞれガイドさんの説明を受けている。
ぶらりぶらりと歩いていくと、アユタヤの写真では必ず紹介される、木の幹の間から頭だけが見える仏像の前を通り、いわゆる遺跡としか思えないような廃墟の前で説明が始まった。
アユタヤの歴史や頭の無い仏像の理由を説明してくれる。しかし歴史音痴の私には馬の耳に念仏である。
ただし、そこに置かれている仏像すべての頭が切り取られている様子は、想像以上になにかしら心を打つものがあった。
説明が終わり、自由見学の時間となったので、一人でぶらりぶらりと周囲を見てまわる。どこへ行っても頭のない仏像が付いてまわる。
切られた跡はかなり平らで、刃物で切られた事がわかるが、仏像そのものは石で出来ているので、これは大変な作業だったに違いない。また切った頭を運ぶのもさぞかし大変だっただろう。
そうまでして何が得られるのか、と思ったが、後でガイドさんに聞いてみると、頭を売って金にするということだった。
頭を切り離したのは、胴体まで運ぶのは重すぎたからだとのこと。なるほどたしかに納得がいく説明だが、やはり頭だけでも相当重かったに違いないと思う。
またいわゆる仏塔というものなのだろうか、これがほとんど傾いていることにも興味を惹かれたが、これは盗掘、すなわち底面に埋められたであろう埋蔵品を掘り出しているうちに傾いたとのことであった。
たしかにすべての建物が、ほんの少しではあるが傾いている。金のためなら何でもしてやろう、という人間の根源的な欲求が垣間見えるようで、何か情けなかった。
ひと回りして先ほどの木に埋もれた仏像の頭のところまで戻ると、ガイドさんが待っていてくれて、写真を撮ってくれた。旅行中の写真で私自身が写っている数少ない写真のひとつとなった。
この頭だが、持っていく途中で一つだけ置き忘れ、そこがたまたま木の生えてくる場所だったので、幹に取り囲まれてしまったとの説明であるが、ちょうど顔だけ見えるところがなんとも不思議である。